こんにちは。アトリエくまの堀江です。桜。ちらほら咲いてきましたね。やっぱり桜が咲くとうれしいです。4年ほど前までは会社員をやっていたわけですが、そのころは季節の移り変わりなどにほとんど意識が行かず気が付けばどんどん季節が変わっていき、たまにビックリしてはまた忘れてという生活でしたが、最近は季節を愛でるまでは行かないまでも、なんとなく毎日季節を感じるようになってきました(笑)。
さて、今回は美術の先生についての、ちょっと語ってみようかなぁと思います。
美術の先生っていうと一般的には馴染みが薄い方もいるとかなと思います。中学、高校の時に、そういえばいたなぁという感じでしょうか?
この美術の先生……ボクにとってもあまり馴染みがなかったのですが、長年作家として活動を続けているとなのかはわからないのですが、気づけば周りは作家でありながら美術の先生という人間ばかりになってしまいました。類は友を呼ぶというやつでしょうか。思えば不思議です。
美術の先生といっても色々あります。小学校、中学校、高校。美術大学、予備校、福祉施設、NPO、カルチャーセンター……それからボクのような個人でやっているような教室などなど。
あと先生といっても色々でボクのように作家業をしながら教えている人間もいれば、教えることに専念することにしている方、制作はしないけれど学問として研究しながら教えている方など本当に様々です。
当然、教え方も違えば、考え方も違います。どれが良いのかというとそれはわかりません。それぞれの考えに沿って、それぞれの授業を行っているのだと思います。どんな素晴らしい先生でも、すべての生徒にとって良いものというのは難しいでしょう。美術はとくに他の学問と比べてこれが顕著だと思います。
例えば教科書通りのお手本のような絵画を奨励する先生がいたとしましょう。他の科目なら教科書通りに避難の声はほぼないでしょう。
でも美術の場合は、これに批判が出る場合も少なくありません。美術大学ではもちろん、小学校ですらこういうことが起こりえます。ボクなどは小さな教室で子ども一人と相談しながらつくっているのでまだ何とかなりますが、学校の先生などは大勢を相手にしていますから、その苦労は半端ではないでしょう。本当に頭が下がります。
さて、そんな前ふりをしておいて、最後にちょっとだけ思い出話を。ボクは幼稚園のころから絵を描くのが好きで暇さえあれば絵を描いていました。でも上手く描いてやろうということにあまり興味がなく、とにかく描いていました。そして自分の中でとても良いものができると一人会心の出来だと言っては周囲に煙たがられるようなそんな幼少期から思春期を送ってきました。以前にも書きましたが、学校での評価は5段階の中では3くらい。良くも悪くもないといったところでした。高校まで5人か6人くらいの先生と会いましたが、褒めてくれたのはたった一人だけで、中学校2年のころに臨時で来ていた先生で、たしかナガサコ先生という方だっと思う。屋外写生の授業のときに先生が一言「君はなかなか良い絵を描くね」と言われた。そのときは割と流して「ありがとう」と言ったような気がするけれど、そのことを今でも覚えている。ちなみにその先生の期間だけボクの成績は5段階の5だった。これも覚えている。
先生は比較的短い期間で、学校を去ってしまった。ちょっとだけ作品をみせてもらったけど、今思えば現代アートの作家さんだったのだろうと思う。学校を去るとき学校の終業式かなんかで、バケツをかぶって登場し、あまり話さずエレギギターを弾いて挨拶を締めくくっていた。ボクには印象的だったが、当時の友人にこの話をしてもみんなほとんど覚えていない。正直なところ、ボクの妄想だったのかもしれないと思ってすらいます。
何を言いたいかというと、とにかく美術の先生に褒められたことがとてもうれしかったということ。それを今も覚えていることです。先生のおそらくは気軽におっしゃった言葉を今も真に受けて絵を描いているボクです。今も自分の中では良いと思うものを描いています。そして、子どもたちにもできれば、そういう風に作品をつくってもらいたいと思っているし、そういう先生になりたいと思っています。
かと言って、なんでもかんでも褒めるつもりはないし、良いと思ったらきちんと口に出して、そう言うという程度のものなのですが……。
このお話し、まとめようとするとまだまだ続きそうなのですが、今日はこのへんで♪
相模原市緑区西橋本の子ども絵画造形教室 アトリエくま 堀江和真
さて、今回は美術の先生についての、ちょっと語ってみようかなぁと思います。
美術の先生っていうと一般的には馴染みが薄い方もいるとかなと思います。中学、高校の時に、そういえばいたなぁという感じでしょうか?
この美術の先生……ボクにとってもあまり馴染みがなかったのですが、長年作家として活動を続けているとなのかはわからないのですが、気づけば周りは作家でありながら美術の先生という人間ばかりになってしまいました。類は友を呼ぶというやつでしょうか。思えば不思議です。
美術の先生といっても色々あります。小学校、中学校、高校。美術大学、予備校、福祉施設、NPO、カルチャーセンター……それからボクのような個人でやっているような教室などなど。
あと先生といっても色々でボクのように作家業をしながら教えている人間もいれば、教えることに専念することにしている方、制作はしないけれど学問として研究しながら教えている方など本当に様々です。
当然、教え方も違えば、考え方も違います。どれが良いのかというとそれはわかりません。それぞれの考えに沿って、それぞれの授業を行っているのだと思います。どんな素晴らしい先生でも、すべての生徒にとって良いものというのは難しいでしょう。美術はとくに他の学問と比べてこれが顕著だと思います。
例えば教科書通りのお手本のような絵画を奨励する先生がいたとしましょう。他の科目なら教科書通りに避難の声はほぼないでしょう。
でも美術の場合は、これに批判が出る場合も少なくありません。美術大学ではもちろん、小学校ですらこういうことが起こりえます。ボクなどは小さな教室で子ども一人と相談しながらつくっているのでまだ何とかなりますが、学校の先生などは大勢を相手にしていますから、その苦労は半端ではないでしょう。本当に頭が下がります。
さて、そんな前ふりをしておいて、最後にちょっとだけ思い出話を。ボクは幼稚園のころから絵を描くのが好きで暇さえあれば絵を描いていました。でも上手く描いてやろうということにあまり興味がなく、とにかく描いていました。そして自分の中でとても良いものができると一人会心の出来だと言っては周囲に煙たがられるようなそんな幼少期から思春期を送ってきました。以前にも書きましたが、学校での評価は5段階の中では3くらい。良くも悪くもないといったところでした。高校まで5人か6人くらいの先生と会いましたが、褒めてくれたのはたった一人だけで、中学校2年のころに臨時で来ていた先生で、たしかナガサコ先生という方だっと思う。屋外写生の授業のときに先生が一言「君はなかなか良い絵を描くね」と言われた。そのときは割と流して「ありがとう」と言ったような気がするけれど、そのことを今でも覚えている。ちなみにその先生の期間だけボクの成績は5段階の5だった。これも覚えている。
先生は比較的短い期間で、学校を去ってしまった。ちょっとだけ作品をみせてもらったけど、今思えば現代アートの作家さんだったのだろうと思う。学校を去るとき学校の終業式かなんかで、バケツをかぶって登場し、あまり話さずエレギギターを弾いて挨拶を締めくくっていた。ボクには印象的だったが、当時の友人にこの話をしてもみんなほとんど覚えていない。正直なところ、ボクの妄想だったのかもしれないと思ってすらいます。
何を言いたいかというと、とにかく美術の先生に褒められたことがとてもうれしかったということ。それを今も覚えていることです。先生のおそらくは気軽におっしゃった言葉を今も真に受けて絵を描いているボクです。今も自分の中では良いと思うものを描いています。そして、子どもたちにもできれば、そういう風に作品をつくってもらいたいと思っているし、そういう先生になりたいと思っています。
かと言って、なんでもかんでも褒めるつもりはないし、良いと思ったらきちんと口に出して、そう言うという程度のものなのですが……。
このお話し、まとめようとするとまだまだ続きそうなのですが、今日はこのへんで♪
相模原市緑区西橋本の子ども絵画造形教室 アトリエくま 堀江和真
| 08:08
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