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こんにちは。アトリエくまの堀江です。アトリエくまは神奈川県相模原市にある、小さな子ども絵画造形教室です。このブログでは、毎日のことでふと、記事に書いてみたいと感じたものなどをあげています。

 さて、今回は小学生くらいの自分の絵について、ちょっと書いてみたいと思います。このブログでも何度も言っていますが、小学生のころのボクの絵はお世辞にも上手いとは言い難いものだったと思います。当時はそんなことは思わず、けっこう上手いと勝手に思い込んでいました。まぁ、それはさておき、繰り返し書いていたものが、3つあって、これがそれぞれちょっと個性的だったのかなぁと回想します。

 1つ目は自分です。自分をイラスト風にめちくちゃ描いてました。自分が主人公の漫画をつくってクラスのみんなに読んでもらうという、めちくちゃなことを恥ずかしげもなくやっていました 笑。ちなみに当時肥満児だったボクですが、漫画では普通体系で通しており、このへんも恐ろしい♫

 2つ目はブタの絵で、これが頭は三角、身体は四角、手足はペラペラの紙のような形状の生き物でした。これは当時学校の工作で自分が作ったブタをモデルにしたもので、自分はえらく気に入っていた記憶があります。

 3つ目はこれがまた異形なのですが、ボサボサヘアーでニコニコ顔の青年、ただし下半身はタコの脚になっています。これは今思えば、ペガサスやグリフィンと似てて、既存の動物の足し算で創造した架空の生き物と成り立ちが似ていて、ボサボサヘアーは当時夢中になっていた漫画のキャラクター、タコの脚は何故選んだか謎ですが、何か心惹かれるものがあったのでしょう。

 最後に、ここまで読んでいただて、アレなんですが、とくに落ちはないです。なんか、ヘンテコな絵を描いてたなぁと思い出しただけです。みなさんにも、そんな記憶、ございますでしょうか?とにかく絵を描くことって楽しいですよね。ボクは、現在アラフォーですが、その気持ちだけは当時と変わらないで、今もいるつもりです。



相模原市緑区西橋本の子ども絵画造形教室 アトリエくま 堀江和真

こんにちは。アトリエくまの堀江です。みなさん、いかがお過ごしですか?

 さて、今日は学問の楽しさについて、ちょっと書いてみようと思います。

 まずは、ボク堀江和真の思い出話しから。あれは、今から8年ほど前の話しになるかと思います。他愛のない事柄なのですが、すごくよく覚えていることがあります。
 ボクはよくマクドナルドで珈琲を一つ買って、スケジュールなんかを組むことが多いのですが、その日も、そんなふうにしていたのだと思います。向かいには、パジャマみたいな格好の若者が二人、ポータブルゲーム(DSとかSwitchとかそんなの)をうだうだとやっている。そして、言った台詞...

A ...オレさ、決心したことがあるんだよね。
B ...何を?
Aいや、オレさ、親の脛を齧れるだけ齧ることにしたよ。仕事とか絶対しない
B ...ふーん。

 これを眺めていて、ボクは思いました。日本、終わったな、と。まぁ、このシーンはどうでもいいんですが。じゃあ、書くなって話なんですが、こちらも衝撃のシーンだったので。

 さて、ボクのとなりにもう1組、大工の方らしきオッチャンが二人。この日は、雨だったので、束の間の雨宿りの様子でした。この二人の会話。

X 俺ね、最近ハマってることがあんのよ。(とても楽しげに)

Y なんだい?

X あぁ、あれだよ、あれだよ、宇宙!!

Y ???

X だから、宇宙。なんか最近読んだ本でよ、宇宙っていうのは、実はものすごいデカい生き物の体内だっていう仮説があるっていうんだよ。びっくりだよなぁ。そしたら、俺たちの身体の中にも宇宙があるっていうことなのかな?

Y ???

と、大体こんな会話。

 ボクは正直、大工のおっちゃんからこんな台詞が出てくることに少なからずビックリしました。それと、同時に何かを学ぶことって、こんなにも人を生き生きとさせるのかと思いました。素晴らしいなぁと、しみじみ感じたのを今でもたまに思い出します。これを思い出すとあの日の若者の姿もセットで思い出すのは、まことに残念ですが。

 ボクは美術という学問と出会えたおかげで、毎日が生き生きとしています。そして、同じように美術が好きな人と出会えば、やはり楽しくなってたくさんしゃべってしまいます。側から見たら、大工のおっちゃんも、ボクも、大差がなく、同じようなものでしょう。

 願わくば、教室に通う子供たちにも、ボクが大工のおっちゃんから受け取ったキラキラとした雰囲気を、ボク自身が発することで、お届けできたら、いいなぁと思っています。



相模原市緑区西橋本の子供絵画造形教室 アトリエくま 堀江和真

こんにちは。アトリエくまの堀江です。神奈川県においてはという話しでは、どうやら猛暑日というものも減ってきて、秋の気配が色濃くなってきました。

 今回は子どもに教えることについて話しをしたいと思います。

 さて、子どもってこうだよね。という決めつけは、かなり大雑把で乱暴なくくり方だとは、思いますし、それぞれがそれぞれに違うという事を大前提に考えなければいけませんが、あくまで一般的な定義をさせてもらうと、子どもは大人と比べて、忍耐力が弱い、体力がない、力が弱いなどの特徴があるのだと思います。

 ボクたち、大人はこういった子どもたちの発展途上の段階にある力量のようなものを見誤ることがよくあります。そこでよくやってしまうのが、何故こんなこともできないのか?という問い詰めです。恥ずかしながら、ボクもやってしまうことがあります。この判断の見誤りで厄介なことの一つには、その日の気分で、かなりできることできないことの度合いが変わるという所かなと思っています。前回できたことが、今回はできず、すぐに作業を投げてしまうことが、子どもたちにはよくあります。
 
 ここで、自分のことについて、振り返ってみようと思います。ボクはアトリエくまで子どもたちに工作を教える傍ら、自身の作品もつくっています。ルーティンワークのようにして、なるべく気持ちの上下でパフォーマンスが変わらないように工夫はしているものの、やはりどうしても気分ではない日というのはあります。そんなとき、作品の前で立ち尽くしながらも、筆を加えることはしません。なぜならば、それは作品を壊す行為であり、失敗が目に見えているように感じるからです。

 その点、教室に通う子どもたちは過酷だなと思います。手をとめて、だらーっとしていると、何故やらないの?と問われます。もっとやらないでいると、じゃあ一緒にできることをやろうか?と言われます。習い事だし、時間は限られているのだから、少しでも何か学ぶことをしなくちゃと、いうのが、講師であるボクの言い分ですが、気分が乗らない時の制作は億劫なものです。

 そんなとき、アトリエくまでは、どうしているのか?というと、今作ってる作品ではなく、別の作品をつくってみるということをやってみたり、短時間で成果がみえるプラ板やアイロンビーズのようなものを一つや二つ、つくってみて、気分があがれば、作業にもどるというようなことです。それでも、全然ダメな時は、その日は、何にもしないで、絵本などを見て過ごすということもあります。

 制作というのは、本来自由なものです。この点において、学校や教室が、子どもたちにあたえらる体験は時に、押しつけになり、限界があります。教室で教えられることはイコールでボク、堀江和真が把握している事柄でありテクニックです。これが全ての子どもたちにフィットするわけがないですし、ましてや、役に立つかと問われれば分からないとしか答えようがありません。ボクはボクが持っているものを、紹介していくことしかできません。ただし、それがなるべく押しつけがましくなく、単なる紹介であることは重要だと思っています。子どもがそれを受け取るのか、そうでないのか、選ぶ余地を与えなくてはいけません。

 しかしながら、それらも全て、その日で気分で大きく変わります。これは大人同士でも同じですが、本当に難しいです。教室では、ボクの伝えたいという気持ちがうまく受け取ってもらえず、連戦連敗ということも珍しくありません。

 難しいですが、本当にやりがいのある楽しい仕事だなとも思っています。がんばりまーす。




相模原市緑区西橋本の子ども絵画造形教室アトリエくま 堀江和真