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子どもに教えるのって、むつかしいっすね

こんにちは。アトリエくまの堀江です。神奈川県においてはという話しでは、どうやら猛暑日というものも減ってきて、秋の気配が色濃くなってきました。

 今回は子どもに教えることについて話しをしたいと思います。

 さて、子どもってこうだよね。という決めつけは、かなり大雑把で乱暴なくくり方だとは、思いますし、それぞれがそれぞれに違うという事を大前提に考えなければいけませんが、あくまで一般的な定義をさせてもらうと、子どもは大人と比べて、忍耐力が弱い、体力がない、力が弱いなどの特徴があるのだと思います。

 ボクたち、大人はこういった子どもたちの発展途上の段階にある力量のようなものを見誤ることがよくあります。そこでよくやってしまうのが、何故こんなこともできないのか?という問い詰めです。恥ずかしながら、ボクもやってしまうことがあります。この判断の見誤りで厄介なことの一つには、その日の気分で、かなりできることできないことの度合いが変わるという所かなと思っています。前回できたことが、今回はできず、すぐに作業を投げてしまうことが、子どもたちにはよくあります。
 
 ここで、自分のことについて、振り返ってみようと思います。ボクはアトリエくまで子どもたちに工作を教える傍ら、自身の作品もつくっています。ルーティンワークのようにして、なるべく気持ちの上下でパフォーマンスが変わらないように工夫はしているものの、やはりどうしても気分ではない日というのはあります。そんなとき、作品の前で立ち尽くしながらも、筆を加えることはしません。なぜならば、それは作品を壊す行為であり、失敗が目に見えているように感じるからです。

 その点、教室に通う子どもたちは過酷だなと思います。手をとめて、だらーっとしていると、何故やらないの?と問われます。もっとやらないでいると、じゃあ一緒にできることをやろうか?と言われます。習い事だし、時間は限られているのだから、少しでも何か学ぶことをしなくちゃと、いうのが、講師であるボクの言い分ですが、気分が乗らない時の制作は億劫なものです。

 そんなとき、アトリエくまでは、どうしているのか?というと、今作ってる作品ではなく、別の作品をつくってみるということをやってみたり、短時間で成果がみえるプラ板やアイロンビーズのようなものを一つや二つ、つくってみて、気分があがれば、作業にもどるというようなことです。それでも、全然ダメな時は、その日は、何にもしないで、絵本などを見て過ごすということもあります。

 制作というのは、本来自由なものです。この点において、学校や教室が、子どもたちにあたえらる体験は時に、押しつけになり、限界があります。教室で教えられることはイコールでボク、堀江和真が把握している事柄でありテクニックです。これが全ての子どもたちにフィットするわけがないですし、ましてや、役に立つかと問われれば分からないとしか答えようがありません。ボクはボクが持っているものを、紹介していくことしかできません。ただし、それがなるべく押しつけがましくなく、単なる紹介であることは重要だと思っています。子どもがそれを受け取るのか、そうでないのか、選ぶ余地を与えなくてはいけません。

 しかしながら、それらも全て、その日で気分で大きく変わります。これは大人同士でも同じですが、本当に難しいです。教室では、ボクの伝えたいという気持ちがうまく受け取ってもらえず、連戦連敗ということも珍しくありません。

 難しいですが、本当にやりがいのある楽しい仕事だなとも思っています。がんばりまーす。




相模原市緑区西橋本の子ども絵画造形教室アトリエくま 堀江和真

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